harumi'HP へようこそ. 『シルクスクリーン版画』と『とんぼ玉』を製作しています
こんにちは、ブログに変更いたしました でも、たまにはここにも書いています(^ ^ )
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------------------------------------------------------------------------ ■2007年8月20日(月曜日) 迎え火と送り火 皆さんは、お盆は、どう過ごされましたか? 初盆と言うこともあって、祀りモノを用意。 山のモノ。海のモノ。あと、果物と。。。 灯ろうを出して。とうわを書いた(いつもそう呼んでるので漢字わからず) 送り火をしながら、『お帰り!』と言った。 本当に帰ってきてるのか? 親戚などの供え物で、仏壇の周りはいっぱいになり、 『よかったね。みんな、覚えててくれてて。』と、話す。 甥も金を鳴らし、『うるさい』と言う。 『ここだと!わかるように!』と、ならしてるねん!と。 あっと言う間の、半年だった。 今年も居てたら、『暑いなぁ〜』と何気ない会話もしたと思う。 毎朝、『オス!』『ハイ、おちゃ』と供えるだけでしたが、 15日、送り火をして、帰って行った。 どうしてるんですかねぇ〜。 あちらでも、楽しい毎日過ごしてたら、いいのですが。 ------------------------------------------------------------------------ ■2007年4月3日(火曜日) 四拾九日とは、この世からあの世に旅立つ送別会らしいです。 ようやく一区切りかも、巻線香のケムケムもどこまで匂ってるのでしょうか? 父の身体は無くなったものの、ご飯を供える時、「遅くなってごめんね。」 「いつものことや!」って言いながら、大阪人のボケとツッコミを独りで演じています。 居ないのに、まだ2階で寝てるようです。 3月25日満中陰をつとめました。 友達・親戚・近所のみなさん方の供え物もたくさん頂きました。 ありがとうございました。 日蓮宗は、笠のもちというものを誂えます。 お地蔵さんが、笠を着せてるように積み上げた餅のことを言うらしいです。 その一番うえの大きな餅を切り分けて、和尚が人の形を作ってくれます。 お遍路さんに見立てて、笠を着て杖をついてる形にしてくれます。 四十九日まで家に居てた魂が、天国に旅立つ日とされてるらしいです。 それで、亡くなった人に見立てて、お遍路に行く人形というわけです。 このお餅を、悪い所の部分を食べて供養にしてもらい、 悪い所をもって行ってもらう。という言われがあるそうです。 私は、偏頭痛。頭をもらいました。 仕上げの膳。 最近では、よく食事処などの会席膳で食べてもらうことが多くなりました。 家では、人数も限られた方しが食べてもらえない〜ということらしいです。 私の家は、昔ながらの建物で襖を取ったら、6+6帖の間取りになっていて、 16名程、食べてもらいました。 人を呼ぶ時だけ、大きな家だったらいいのに〜とよく母が言ってました。 最近は、飲酒運転も厳しくなり、飲んだら乗るな!の肝に末、 車での方は、お茶を注いでまわるのが、当たり前の時代になってきました。 いろいろ、故人の話やら〜で、無事終え、 近所の方にも、一通り祀りものを配りおえ、兄夫婦も帰っていきました。 やれやれ、と。ゴロンとなったのは、何時だったのか? 母とこたつでバク睡。Zzzzz. 皆様、ありがとうございました。感謝! ------------------------------------------------------------------------ ■2007年2月23日(金曜日) いろいろ、ご心配をお掛けしました。父2月10日に永眠いたしました。 たくさんのお気づかい、お礼を申しあげます。 父のことについて、病状、最後を書かせていただきました。よかったら読んでください。 2005年12月、父の病気がわかってから、約1年2カ月が立ちます。 その病気は、大腸癌でした。 医師の診断では、もう既に肝臓まで転移してるらしいです。 ある日、高血圧でいつも診てもらってる街のクリニックから、 肝臓の数値が高いので、大きな病院で詳しい検査を受けてください。と言われる。 それを母に言うと、またまた冗談だろう?と言って笑ってた。 肝臓のCTを撮ってみたら、無数の白い影。 えっ!?本当ガンなの?って感じで、それも大腸ガンからリンパに流れた肝臓でした。 転移して、ステージ4と診断。 まだまた、今は元気なのに、歩けなくなり、腸閉塞か肝不全かどちらになってしまうと言います。 まさか!本当なの?が正直です。 いつも、食事には一番気を使って食べます。(ほとんど野菜メインです) 少し晩酌をしたいから、ウォーキングやスイミングも行なっていました。 ごく普通の一般家庭の私の父親です。 診断されて、クリスマスパーティーを激励会かねて、孫とケーキを食べる。 浅黄のベストをプレゼントされて喜んいました。 お酒もドクターストップで飲めなかったけど、楽しい1日でした。 大阪・成人病センターに入院。年末とあって大腸の検査(細胞採取)のみ。 お正月は、一時退院したけど、静かなお正月で、まだまだ元気なのに、本人ショックで食欲減る。 先生の診断は、ほぼ同じで、肝臓に転移した大腸癌。手術は体力のことを考えて無理でした。 良くなることないけど、「このまま維持が一番ベスト」と思って抗癌剤治療を行ないましょう。 大腸癌には、今、3種類の抗癌剤が効くと言われてます。 FOLFIRI FOLFOX TL-1 という薬です。 時間がないので、一番効果が上がってる薬から使っていきました。 1種類の抗癌剤は、右胸にポートを入れるために、約1カ月半入院して様子を観ながら投与。 少しは、抗癌剤の副作用はあるものの2週間に1回のペースで投与を行なって行きました。 身体の調子がいいので、二上山に登りに行ってこともありました。 これなら、旅行にでもと、家族と孫とで伊勢旅行。孫に特急を乗せてあげたいと計画した旅行です。 夏になる頃、少し肝臓の数値が上がってきてる、腫瘍マーカーも上がる。 第2の抗癌剤に変更すべきと先生。お盆に、様子を見ながら投与。 この薬、なかなか効果が現れない?副作用も冷たいものを持つとしびれるとの事。 効くなら副作用も我慢〜と思ってるのに、それも6回足らずで、投与残念。 この状態なら、緊急性を考えて近くの病院(24時間対応してくれる所)も 今どんな状態か知らせておく必要性があるので、そちらも当っておいてください。 との医師からの説明。そんな切迫してるのか? 第3の抗癌剤は、一般的に効きが悪いーとされていますが、副作用もありどうされますか?と聞かれる。 でも、薬に頼るしか手段はないので、これで、見放されるか?と思いつつも投与続行。 効かないと思ってたら、少し腫瘍マーカーが安定してきた。 これで、少しは一安心。〜と数回投与してきたら、黄疸が上がってきて、投与中止。 その後、CTを、見るかぎり、私でも判断できるぐらい悪化のしてました。 他に、薬もないので、痛み止めとモルヒネを貰って、24時間体制のPL病院へ通院。 1月24日最終の成人病センター 1月29日PL病院-通院 1月30日PL病院-入院 成人病センターから帰って、日に日に弱ってきてる。 少し前、「入院したらたぶんご自宅へは帰れないと思ってください」とPL病院の先生にハッキリ言われる。 それを思って入院はしたくない!と意地をはっていた。 父の友人に説得されて、やっぱり家に居るより身体は楽やと思いますよ。と言われ、入院を決意。 その頃、黄疸も8.8になっていた。 食欲もない!と言うことなので、会社から少し早めに終わらせてもらって「おかいさん」(茶粥)を持って行くことが、日課になった。 少しでも、食欲が出てくれればと思いつつ、背中を擦ると肝臓が腫れて、足のむくみがひどかった。 2、3日顔色もよく、安心していたら、昨晩はモルヒネを3回も飲んだとかで、しんどそうで見ていられなかった。お見舞いも来てくれるのは、嬉しいけど対応するのも疲れるので可哀想。 医師の血液データーでは、2月いっぱい…。とのこと。聞くのも辛かった。 その後、黄疸も13になり、早まるかも…?と言われ、まだまだ生きてよ! 好物のうどんを持って行ったら、美味しそうに食べてくれました。 でも、少しの量でも胃まで圧迫されてるのか、戻しそうに辛そうだった。 兄嫁が、午前中に来てくれることを嬉しそうに話してた。 ヒゲを剃ってくれたとか、着替えも手伝ってくれたとか。 2月9日午前中も、兄嫁が一時帰宅できるように車の手配しようか?と言ったら嬉しそうに喋ってたらしい。 その日の夕方、突然、父から電話がかかってきた、「今日は食事、いっ、いらん」と苦しそうに喋ってきた。 苦しそうやったで〜と母に言う、とりあえず急いで家を出て病院へ。 やっぱり、吐きそうで身体の置き場所がないらしい。 起き上がったり、横になったりを繰り返す。吐き気止めを入れても、追いつかない。 母に今日は、付き添いで泊まった方がいいのでは?と、判断。 顔つきが、少し変わってる。この世から逝くときに、祖母も顔つきが変わったと。 心配ながらも、数日前から片頭痛が出てるので、私は自宅に戻った。 朝、母からの電話。「親しい人に連絡してください」と看護師さんに言われたらしい。 家のことを少し片付け、昼頃、家からPL病院へ。 顔を見ると、また変わっていた。白目がまっ黄色!大丈夫なのか? 「おとうちゃん!」と呼び掛けると、何となくわかるようだ。 弱い所から、水分が出るのか?脚の膿んでる所から水分が出てきてる。出血もあるようだ。 兄夫婦、甥達も来てくれて、心配してるやら?遊びに来てるやら? 泣きそうになりなりながら、少し救われる。 今日も無意識に座る、立ち上がる、横になるを繰り返してた。力もないのに。 残念ですが、この2、3日が山です。急変もありえる。と担当医師。 今日は尿の管からほとんど尿も出てない。出血もあるようだ。 夕方になり、今日は兄が泊まると言うことになり、支度で家に帰って行った。 その頃、甥達の好きなウルトラマンが5時半よりテレビで始まってた。 父が、いつも右向きに横になるのに、今は左向きにテレビの方に向いてテレビを無意識にテレビでも見てるのかなぁ?〜と?えっ?さっきまでの息の仕方と違う! 看護師さんに酸素マスクしてください!と言いにいく。 見に来て、急変を感じたのか?酸素マスク。心拍の装置が慌ただしく運んで来た。 だんだん弱くなってくる、心拍。 甥達は、慌てて、「外に出て!」と看護師さんが叫んでた。 えっ?これで逝っちゃうの?不死身のやろ?兄嫁が泣いている。 担当医師も駆け付けてくれた、この心拍をみるとだんだん弱くなってきてます。 甥達も病室に入ってきて、「じぃ!」と呼んでる。 2007年2月10日6時8分。死亡確認。 兄には、最後には逢えなかったけど、苦しまなかった最後でした。 寝顔もまだ、生きてような。 処置しますので、と看護師さん。 薄化粧をした、本当に安らかな顔を浮かべてた。 葬儀社に手配、親戚に連絡。と、どうにか連絡出来た。 家に一緒に帰ってきた。「おかえり」と一言。 もう、深夜にもかかわらず、お寺さんが枕経をあげに来てくださった。 親戚の人や近所の人も続々と。色々と段取りで、慌ただしく悲しむ余裕がない。 少し横になったのは、4時半頃だったと思う。 朝からも、バタバタで何をしていいのか?公民館と家を行ったり来たり。 少し冷えたのか、お通夜の前に珍しく腹痛になり、父はもっと痛かったのか?と考えてしまう。 頭を下げるのが、精一杯でどうしていいのか、わからない時間が過ぎていく。 公民館で線香の番。いとこが残ってくれた。交替で仮眠。この日も、5時頃少し横になった。 告別式は、2月と言うのにコートも要らない暖かい晴天になりました。 なにかしら、笑ってるような顔で、本当に逝ってしまったのか?問いかける時間でした。 暗く細い道を、ひとりで逝ってしまいました。 でも兄の職場の方がたくさん来てくれて、色んな方に見守られてありがとうございました。 色々、近所の方にもお手伝いありがとうございました。 無事お通夜・告別式が恙無く終わりました。本当にありがとう。父にも…。 1月中頃、クエ鍋を食べに行こうか?と父。 和歌山のかんぽに連絡をしようと思った矢先に食欲減退。 もっと早くにでも、でも行っておけば?と思うばかり。 1月20日に松原市民寄席を見に行ったのが、二人で出かけたのが最後になりました。 私が鶴瓶さん来るから行こう!とチケット2枚買ったものです。 それなら、たぶんいっぱいやし、早くから並ぼう!と言ったのも父でした。 笑いは健康の源。少ししんどいのか?と顔を見ても元気そう笑ってました。 満足げな様子で、今度は繁昌亭も行きたいね。と。 皆さんから、父はいい人だった!と口を揃えて言っていただきました。 人の嫌がることのしない、あまり怒らない、温和な性格です。 父は、一人っ子。祖母も長生きしたので、きっと長生きだよ!って家族で笑ってた。 血圧が高くなって、脳硬塞にならんように!っていつも母に言われてた。 写真は、私が70歳の免許更新の時に撮ったもの。癌と診断される2、3カ月前の日の写真である。 まだまだ、ふっくらとした姿。その写真を見ると父が旅行に行ってるような、気がします。 甥が、『家→天国』(6文)行きのチケットを手書きで書いてお棺に入れました。 往復チケットにしておいたから、すぐ帰ってくるよ!って言っていました。 苦しむ期間が少なくて、本当に良かったし、 反対に親不孝の嫁にも行かない娘を持って申し訳ないと、ただただ思うばかりです。 書くことで、面影を私も思い出すし、親戚友人にも知って欲しいので、 私のホームページに片隅にアップしておきます。 キーボードを叩くたび、涙が溢れそうになり長い時間がかかりました。 皆様、本当にありがとうございました。 私の父、優しかったです。ありがとう。いろいろ、ごめんね…。 ------------------------------------------------------------------------ ■2006年10月4日(水曜日) 最近は、ブログの方にせっせと書き込んでいます(?)。 よろしければ、そちらの方に行ってくださいませ。 ------------------------------------------------------------------------ ■2006年04月12日(水曜日) 【春・華・晴 haru-hana-hare】― とんぼ玉と万華鏡 ― 4月10日(月)〜4月22日(土) 会期中無休 OPEN 13:00〜20:00 ( 最終日は、17:00 終了 ) Gallery HAY-ON-WYE (ヘイ・オン・ワイ) 〒530-0043 大阪市北区天満 2-6-3 コープ野村天満橋113 TEL.06-6358-7857 FAX.06-6358-7860 → こんな事、やってます。よろしくお願いします。 桜の咲く頃は、花粉症でゴミ箱がティシュの山になります。 この前、ガラスのワークショップに行ってきました。 始めてのパイプでスパイラル。グルグル3D。 前から不思議とは思ってたんですけど、興味深々で見てきました。 でも酸素バーナー始めてなので見事な(**;)作品が出来上がったのは言うまでもありません。 京都は寒かったです。この先生のサイトを見たら大阪じゃない?工房でワークショップ受けた方が、 場所的に近かったかも? 隣に座られた方に、島田珠代に似てる!と言われました。 随分前は、牧瀬里穂とか、早見優なんて言うのもあったけど、お笑い系は初めてで、そんなに似てるかな?大阪人は人を笑わせてなんぼやから、いいねんけど。 私を知ってる方、メールで賛否送ってください。私は目は垂れてるよね? ------------------------------------------------------------------------ ■2006年01月24日(火曜日) なかなか、難しい。Flashで、作品を新しく載せました よろしく もっとこったモノは、これからかも…、悪戦苦闘。 よくわからないや〜。見にくいですか? ------------------------------------------------------------------------ ■2006年01月06日(金曜日) 初春のお喜びを申し上げます。今年もよろしくお願いしますm(_ _)m→ 昨年は、いろいろご心配をお掛けしましたが、見事復活!健康って幸せな限りです。ありがとう… でも、なにか続く時は続くのか?…… 皆様は、どんな年越しでしたか?うちは家族でクリスマスパーティを成人になってはじめておこないました。それも急に父が入院することになって、激励会兼ねてのパーティです。お正月は外泊許可が出たもののあまり病状を気にして食欲もなく静かなお正月。3日にはまた病院に送っていったり、お正月と言った感じもしなかったです。いい方向に向かう事を願うばかりです。 バーナーもお正月はする気にもなれず、テレビのチャンネルをまわすだけでした。今年は、あまり大きな事は出来ないかも?地道に頑張ります。またよろしくお願いしますm(_ _)m ------------------------------------------------------------------------
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